SHIROTA Gallery シロタ画廊

シロタ画廊HOME  ●取扱作家 ●展覧会情報  ●版画集・カタログ  大型版画コーナー

加賀谷武展
-空間生態 変遷 デジタルフォト-
2011年2月7日(月)-2月19日(土) AM11:00-PM7:00 (最終日 PM5:00)

 

加賀谷武の「空間生態」 について

 加賀谷武は、近年、大空間にロープを展開させる作品を発表している。2007年にはクロスランド小矢部で118mのタワーから3本のロープを張り巡らし、2008年イタリアのサンセビリーノマルケでは歴史的建造物を使い大規模な制作を行った。2009年には砺波市美術館で、そして2010年は太閤山ランドを舞台に、展望台から約150m離れたふるさとパレスまで(高低差約100m)太さ20㎜のロープでつなぐ作品「空間生態 ’10 富山」を発表した。
 これらの作品が意味するものは何だろう。これは何かを象徴し記念するモニュメントではない。また美術館やギャラリーに展示されてもいない。いわば、場所の意味を語るわけでも、制度としての場所に守られるわけでもない。現実の風景、現実の建築の中を、一筋の白線が走り、それだけで普段目にする視界とは異なるものになる。いつもの空間が、いや空間に対する意識が、ただ一つの線の存在によって変わり、空間が顕在化されるのだ。
 空間をいかにしてとらえるか―。「空間」に対する問いかけは、加賀谷が一貫して抱いてきたテーマである。
 加賀谷は、高岡工芸高校を経て1951年に金沢美術工芸大学金工科に入学して彫金を学ぶが、自身の方向性に疑問を感じ始めた中で、鋳金家・高村豊周に出会う。高村の言葉の中で最も印象に残っているのは「線を描きなさい」というものだった。創作の基本は全て線である。身の周りの自然も建築も、目に映る全てが線によって構築されていた。加賀谷は、最も根源的なもの―線を手掛かりに自身の表現を探求するという指針を得たのである。
 1954年には鉄の彫刻作品を二科展に出品、翌年には岡本太郎に認められ、二科九室(いわゆる「太郎部屋」)に作品が展示された。1962年東京に移住。“反芸術”と呼ばれる、絵画や彫刻といった既成の概念ではとらえられない作品が注目され、廃品を使った作品やハプニングの要素を持つ作品が『読売アンデパンダン展』に多数登場したのも50年代後半からこの頃(64年1月をもって終了した)である。加賀谷もまたこの新しい美術の息吹の中、独自の表現を探して様々な試みを行った。
 初個展は1964年。「みなもと」と題し、医療用器具(注射用アンプル)を複数並べた作品をサトウ画廊で発表している(現存せず。アメリカ現代美術に影響された作品だったという)。翌年の1965年、「空間の表情」を発表。パネルに着彩という、絵画の様式を持ちながら、部分的に厚みを変えることで、空間を意識させる作品だ。以降、平面と空間の問題を探る作品を展開してゆくようになる。
 1968年、念願のアメリカ、ヨーロッパ、北アフリカ、東アジア16カ国をまわる。特にアメリカ現代美術に多くの刺激を得、既存の概念を揺るがす新しい表現に夢中になったという。翌年制作された1969年の「空位」は、青と赤の木枠のみで出来た作品である。着彩された木枠は、内部は空っぽの空間しかないにも関わらず、見るものは「絵画」としてとらえてしまう。そして、「見ることとは」、「絵画とは」、「空間とは」、また「美術とは何か」を問いかける。
 「空間」について追求することは、自分自身の知覚について探究することでもある。それは、近代以降の美術の重要な問題に重なる。こうした視覚による外界の認識についての問題提起は、当時の日本の現代美術界において、高松次郎、そして李禹煥らを核として、熱心に探究されていた。加賀谷もまた、その中で、独自の方法論を追求し、尖鋭な作品を発表し注目を集めてゆく。
  1970年代に入ると、「空間の状況 溝から」(75年)、「空間の状況 穴から」(76年)、「間」(78年)など、線や点といった、絵画を構成する最小限の要素についての関心を深め、1980年代に入ると、素材には木材が多用され、素材の持つ質感も作品の要素として取り入れられるようになった。
  1990年、アートスペース砺波での二人展から、作品は壁だけではなく床にも設置されるようになった。そして1999-2000年、ウィーン、ベルリン、富山での巡回展では、初めから床面での設置を意識した、大規模なインスタレーションが展開された。また2004年、ベルリンでの発表の際、観客が石を動かすことよって完成する作品を発表し、参加者それぞれの空間のとらえ方に興味を抱く。ここでの発表がきっかけとなり、物質と空間が、その時、その場で変化する、パフォーマンス的要素の強い、近年のロープを用いたシリーズへと発展したのだという。
 加賀谷の作品名の多くには、「空間」が用いられている。特に近年では、「空間生態」と命名されている。「空間生態」とは、加賀谷の造語だが、「空間のありのままの姿」、あるいは「空間において生きている状態のもの」という意味であろうか。近作の大空間でのロープの作品は、一過性であり、他者の意識によって、現実の場所を異なる空間へと転化させるというものである。いってみれば、この意識の変化そのものが、これらの作品の本質であるといっていいだろう。
 「空間」が「空間生態」へと変化を遂げるとき、見るものの意識に、何を喚起させるのだろう。それが、やはり「美術」であり、「絵画」であることを、加賀谷は望み、その中にこそ、生きることを見出しているといえないだろうか。
  今回の展覧会では、デジタルフォト約30点によって、近年のロープの4シリーズを紹介している。実際の作品は存在せず、記録写真ではあるが、だからこそ、加賀谷が問い続ける「空間生態」を明快に視覚化している作品といえるだろう。
さて、加賀谷の「空間生態」は、あなたにどのように映るだろうか。空間を意識させる、そのとき、空間が生き、そしてあなたも生きている、と加賀谷は語りかけている。

富山県立近代美術館主任学芸員 麻生恵子

お問い合わせは  shirota-gallery@mqc.biglobe.ne.jp

加賀谷 武 画歴

1932年 富山県小矢部市生まれ
1955年 金沢美術工芸大学工芸科専攻科修了
2002年 紺綬褒章授与

主な展覧会
1954年、’55、’56、’57、’58、’59二科展・九室会(東京都美術館)
1956年 一・一会結成(東京菊水画廊)
1957年 北陸二科展結成(金沢大和百貨店)
1967年 国際青年美術家展(日米)優秀賞(東京西部百貨店)
      第8回現代日本美術展(東京都美術館)
      5人の現代日本美術家展 文化フォーラム主催(パリ・G.ランベール)
1978年 北日本美術賞展 北日本美術賞(高岡市美術館)
1981年、’84、’86、’88、’91 富山の美術招待(富山県立近代美術館)
1985年 練馬区立美術館開館記念展(練馬区立美術館)
1986年 空間を造形しよう展(練馬区立美術館)
1987年 ねりまの美術’87(練馬区立美術館)
1990年 現代美術の流れ(富山県立近代美術館)
1998年 加賀谷武 川井昭夫 展(砺波市美術館ギャラリー)
1999年 日本・オーストリア現代美術交流展(ウィーン、ハウスビットゲンシュタイン美術館)
2009年 第12回文化庁メディア芸術祭・アート部門 静止画(東京国立新美術館)(2010年、第13回)

個展
1964年、’65、’66、’67 サトウ画廊(東京)
1965年 内科画廊
1967年 富山県民会館美術館ギャラリー(富山)
1980年 富山県民会館美術館(富山)
1982年 村松画廊(東京)
1990年 ギャラリーNOW(富山)
1995年、’97、’98 ギャラリーフレスカ(東京)
1999年 ウィーン、ハウスビットゲンシュタイン美術館(オーストリア)
2000年 ベルリン、クンストラハウスベタニエン美術館(ドイツ)
      富山県民会館美術館(富山)
2001年 クロスランドおやべ-2001小矢部市特別企画展(富山)
2004年 ハウスアンルッツオープラッツ(ベルリン)
2006年 第1回鎌倉芸術祭・ギャラリーポラリス(神奈川)
2007年 クロスランドおやべ(富山)今日の小矢部立体造形展
2008年 7人の日本美術家展・各自個展 サンセビリーノ マルケ(イタリア)
2009年 METAL ART MUSEUM HIKARINOTAMI(千葉)
      砺波市美術館「空間生態」変遷をたどる-点・空・面・地(富山)
2010年 富山県立近代美術館企画 太閤山ランド ふるさとギャラリー&庭園(富山)
      ‘69、’70、’71、’72、’73、’74、’75、’76、’77、’78、’80、’84、’86、’88、’01、’02、’03、’06、’11年シロタ画廊

シロタ画廊HOME ●取扱作家 ●展覧会情報 ●版画集・カタログ 大型版画コーナー