Room1
2008.01.15

森岡完介 展

2008年1月15日(火)-1月26日(土)
11:00AM-7:00PM(日曜休・最終日5:30PM・日休)

椅子から家への転位
-森岡完介の新作に寄せて
美術評論家/名古屋ボストン美術館館長 馬場駿吉
 私たちの日常生活の中で自分自身と周りの空間との関係を考えてみると、ほとんどの時間を極めて近距離の<人>あるいは<もの>と向き合って生きていることに気付く。もちろん、それは都市あるいはその周辺の標準的な生活者としての感想なのだが、田園、山岳、海洋など大きな自然の中に生活の足場を置く人たちでは、当然周辺との距離も広がる。気象、地形、潮流、動物たちの生態など、自然とのかかわりを季節という大きな時間のうねりの中で鋭敏に感じとりながら日々を送るこうした人たちも少数ながらあるに違いない。それが人間としての理想的生活だといえるのかも知れないのだが、やはり多くの人たちは日常の至便性を優先し、都市生活を望むのが現状だろう。ただし、視野を狭めた人間の欲望は、環境を破壊することにつながり、野生を失った人間精神自体も衰弱、荒廃へと向かう。それを意識するためには、都市生活者も時に旅をして一時的にも大自然に身を浸すべきだろう。
前置きが少々長くなったのは、森岡完介の作品世界に立ち会うと、今述べたようなことが次々と想い起こされ、現代の日本に住む私たちの日常における周辺への視野のとり方や心の開き方について自問させられるからである。
氏の近年の作品に一貫しているのは、海、砂浜、原野、山麓、渓谷、湖水など、風景の写真映像を基に、版を重ねることによって生じる色彩の微妙なズレ、明暗の反転、砂目スクリーンの応用など、独自の技法を組み合わせたシルクスリーンで、まだ比較的新しい記憶を呼び戻したようなイメージ表現を追求しているところである。さらに目を引くのは画面の中に所有者、使用者が限定されない、無人の椅子が一脚置かれて来たことだ。それは森岡が自分自身のために用意したものである気配が濃いのだが、私たちにもここから立ち帰るべき自然を見渡すことをすすめていると思ってよいのだろう。
芭蕉の名句に
星崎の闇を見よとや啼千鳥
があるが、この句には名古屋の鳴海付近、星崎の闇に打ち返す海の雄大さを感じなさい、と千鳥が啼いていますよ、という意。このような座を用意してくれた寺島安信への芭蕉のあいさつ句なのだか、森岡の作品のように、丁度320年後の私たちにもここでそれを共同体験しなさいと呼びかけているように思える。さらにこの句に即して付言すれば、森岡の作品にはベートヴェンの楽譜が風景に重ねられたものがあって、それが千鳥と同じように風景への聴覚的誘いをしていると見ることも出来よう。偶然とは言え、想像は多方向へひろがる。
ところで、最近作では椅子の代わりにほんの身を横たえるほどのスペースにとどまるささやかな家の姿が出現しはじめた。今回発表される作品シリーズでも干潟や山間の町の小公園の中に小さな無人の家がぽつんと置かれている。椅子と家とでは、身体をめぐる時間も空間も感覚的に大きく異なることを考えれば、作家の思いにもそれなりの変化があったのだろう。単純に考えてみても、野外の椅子は自然の息吹を自由に、また逆に言えば無防備に受け容れる場であるが、それにつれて想念が流動しやすいという一面もあろう。一方、小さくとも家は、人にとって安らぎとともに内省的な空間ともなり得る。感知したものを反芻し、より深い記憶として集積することを誘う装置として役立つ。そうした差異に気付くのだが、森岡の作品の中の椅子も家も<個>であり<孤>である人間一人だけのために用意された場であるという共通の視点は失われていない。その通奏低音は今回のシリーズ作品にも鳴り続けている。焼暗あるいは暮色の濃い時間を思わせる色彩とその明度にもどこか寂寥感がにじむ。だが、決してペシミズムに陥ち込むことのない凛然さを保っているのだ。
椅子から家への転位は森岡の人生観にまた深みが増したことを示すものだろう。

 

 

’07-4P Home-Sea

41.5×60cm
シルクスクリーン 2007年